こちらからの続きとなります。
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進行流産が始まる
自然排出(進行流産)の予感
・流産が分かった日
9月18日(金)・再受診(手術決定)
9月24日(木)・進行流産が始まる
9月27日(日)←・手術予約日
9月29日(火)
(2015年)
手術の日までは仕事に出ようと思い、手術を予約した次の日も出社しました。
翌日から土日で仕事が休みだったのですが、結果から言うと再受診の3日後の日曜日に出血(進行流産)が始まりました。
今思うと、わたしの進行流産の始まりにはなんとなく予兆がありました。
その予兆は、
・進行流産の前日と当日、早朝4時〜5時から目がさめる
・当日朝に微量だが生理痛のような鈍痛を感じる
特にこの「早朝に目覚める」というのは普段では絶対にないこと。なぜかぱっちりと目が覚め、早朝から借りておいた映画を見たりしていました。自分でも珍しいなぁと思いながら。
また流産が終わった後も、数日よく眠れない日が続きました。
姉にこのことを話すと、
「身体が興奮(ハイ状態)してるんだよ。出産もそうだよ」
と言われなんとなくなるほど、と納得しました。
(東洋医学では流産も出産のひとつとして、「小産」と呼ばれるそうですね)
出血量や痛み
主人と家で夕飯を取っている時に出血が始まりました。
その前にも微量の出血があり、朝には生理痛のような状態を少しながら感じていたので驚きませんでしたが、血が出始めると物凄い量とスピードで出血し始めました。
ドバッドバッと。
痛みも少しあるのですが、とにかくドバドバ出てる感覚の方が強い。
慌て始め、病院に連絡するも「もう少し様子を見てください」とのこと。
その後も勢いは止まらず、夜用ナプキンがものの数分で数枚血で溢れかえり、ソファにも血を付けてしまいました。
もう一度病院に連絡、「ナプキンを持って救急外来に来るように」とのこと。
また、血と一緒に固形のものが出てきたらそれも持ってきて下さい、と。
固形のものはけっこうたくさん出てくるので、どれだか分からずとりあえずいろいろビニール袋に詰めまくりました。
病院での処置
15分くらいで病院に到着。ロビーで用意されていた車椅子に乗り、婦人科へ。
着いたころには車椅子にも血がついてしまっていました。
また血が溢れ出てる感じ。
そのまま内診台に上がり、エコーを突っ込まれる。(主人は廊下待機)
「こんなに血が溢れ出たまま見るんだ・・先生たちってすごいな」
と、ぼんやり頭の片隅で考えていました。
この時はエコーを入れる影響もあってか、かなり痛かったです。
まだ赤ちゃんの袋が中にあったらしく、先生が「もうすぐ出るから頑張って!」と。
怖さと痛みがMAXになり、涙も溢れ出てきました。
怖くて怖くて・・
その後一番の痛みとともに、スルンと赤ちゃんの入った袋が出てきました。
胎嚢
胎嚢が出た後も出血は続いたのですが、量は落ち着いてきました。
ナプキンを当て、簡易ベッドで横になり点滴を打ちながら、赤ちゃんの入った胎嚢を見せてもらいました。
胎嚢はそれまで出ていた固形のものとは全く違うものでした。生々しい表現ですが、レバーが袋になっているような感じ。
生理中に出る固形の塊とは全く違い、見ればその違いが一目瞭然だと思います。
私は9wまで育っていたので、けっこう大きかったみたいですが。
先生「綺麗に出たね。(胎嚢の中に)赤ちゃんはもう見えないみたいだよ。」
少しゆっくり胎嚢を見せてもらいました。
胎児の染色体検査
手術日を決めた受診の後、主人と相談し、染色体検査もお願いしようと思い病院に連絡していたのですが・・
私が進行流産した日が日曜日の夜中だったので、保管することが出来ないらしく諦めざるを得なくなりました。
平日だったら大丈夫だったようです。
でも、結果的にこれで良かったのかな・・と思ったり、思わなかったり。
その後病室に移動し、一泊(夜中からだけど)入院しました。
その間、トイレでの出血具合は便器にカップをしき、看護婦さんに見せていました。
あまり眠れませんでした。
完全流産とその後の生理
退院後も少しの出血は続くのですが、出血量が多くなることはもうありませんでした。
その後の診察で子宮の中を見てもらいましたが、
「ほとんど綺麗に出てる、残りは次の生理で綺麗になるでしょう」
とのことでした。
結果的に、自然排出となり完全流産となりました。
流産後の生理は一ヶ月後くらいにきました。量はいつもより多めでした。
義実家や友人への報告
私はしばらくそっとして欲しいという気持ちもあり、流産が分かった一週間後には妊娠を知っている友人にメールで報告しました。
義実家には主人が電話で話しました。
同じ時期に妊娠して喜んだ友人が2人いて、その友人達への報告はいろんな意味で辛かったです。もちろん、相手に余計な心労をかけないよう十分に配慮したつもりですが、そんなことも含めて辛かったな。しょうがないことなんですけどね。
たとえ義実家や、仲が良い友人でも安定期に入ってから妊娠報告をする人の気持ちがやっと分かりました。
私が甘かった。軽かった。
余談ですが、進行流産が始まる前の昼間、外で偶然友達に会いました。
妊娠も流産も知っている友達。
突然のことで驚いてしまい、心配されるのも辛いし、なにしろその子は生まれて間も無い赤ちゃん抱いてるし、明るく振る舞ったら、後で
「元気そうで良かった」
とメールが来てモヤモヤしました。
今考えても、そういった言葉をかける時じゃないよな・・
なるべく明るく振る舞った自分も悪いけど・・
元気な訳あるかーい・・
自分は気をつけようと思いました。
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流産後の気持ち
ふぅ・・実はこのブログを書くのに4〜5日かかってしまっていました。
一年前の出来事なんですが、なんでしょうね、自分の中でもあの流産が自分の人生にどんな影響を与えているのかまだ整理出来ていないような感覚。
でも、表現の仕方が難しいのですが、私は流産が分かった時もその後も「悲しくて悲しくて大泣き」ということはありませんした。
その妊娠まで時間がかかったことや、悪阻もほとんどなかったため
「本当に妊娠出来たのかな?」
といった感覚がずっと強かったからかもしれません。
なので流産となった時も
「やっぱり私はダメだったんだ」
と、絶対に間違っていると思いますが、ある意味納得してしまったような感覚。
流産を経験した様々な方のブログを見ると、ほとんどの方がものすごく泣いてものすごく落ち込んでいらっしゃって。
それに比べたら私ってなんなんだろうな、って今でも思います。
もちろん、とてもショックでとても悲しかった。
あれがいけなかったのかもしれない、これがいけなかったのかもしれないとたくさん自分を責めた、責めてる。
でも、なんかまだ消化出来ていないです。
流産からの1年間、私は何が成長できたかな・・
ただ流産後、ぼーっといろいろ考える中ストンと降りてきた感覚があります。
「人生って、毎日の積み重ねでしか出来ていないんだな」
と。
なんでこの考えになったのかも分からないんですが、突然この感覚に全身が包まれました。
この感覚になった後は
・毎日朝を迎えられることは当たり前じゃない
なんてことを、柄にもなく深く考えるようになりました。
本当に自然に思い始めて・・不思議ですね、ほんと。
進行流産した2015年9月27日は、中秋の名月でした。
私は、生理開始日が満月に重なることもよくあるんですよね。
月と女性の身体の関係性って、やっぱりあるんだろうなと思います。
今年2016年の中秋の名月の日、意識していなかったのですが気づいたら母と主人と3人で食事をしていました。
これまた不思議です。
結果的には流産ですが、一度でも主人と私の遺伝子が出会い、胎児となって心拍を鳴らしたという事実は、確実に今の私を支えています。
流産から1年後もまだ、もう一度授かれていないとは思っていませんでしたが・・(^^;)
それでも、私の支えです。
この妊娠が、私の最初で最期の妊娠にならないよう頑張らなきゃな。
実は色んな気持ちから、まだ水子供養に行っていないのですが近々行こう、行かなきゃと思い始めています。
そしてこれからも私は、この流産の経験について考え続けるんだろうな、と思います。
個人の経験談ですが、何かの参考になれば幸いです。
最後までお読み頂きありがとうございました。
妻
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