姪のピアノ発表会を観て既存の慣習を疑ってみる。AIやロボットにはないライブ感を大事にしたい

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先日、小5と来年小学校に入学する6歳の姪っ子2人のピアノの発表会に行ってきました。

久しぶりの演奏は、少し見ない間にすっかり上達してて・・もうおばちゃんびっくり😆

姉妹での連弾なんかもあって姪っ子ラブとしては至福の時間を過ごせました。

 

だけど・・

 

楽しい発表会ではあったんですが、実は以前からピアノの発表会の一連の流れや発表者と観客の構図に対して、どうにも少し違和感があるんですよね。。

そんなピアノの発表会に対して、やや偏りがあるかもしれませんが私見を述べたいと思います。

最後はAIだロボットだとか話が散らばりますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

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わたくし、約20数年ピアノを弾いておりまして・・・

姪のピアノの発表会に意見をする前に、私のバックグラウンドをひとつ。

私の母は以前ピアノ教室を開いており、小規模ではあるものの一時は20人ほどの生徒を有する町の気軽な音楽教室を営んでおりました☝

物心ついた時からそういった環境だったので、私たち姉妹も気がつけばピアノに親しんでいました。

コンテストに出場するとか、音大にいくとかそんな高いレベルでは全くありませんでしたが、小・中・高のピアノを必要とする学校行事(合唱コンクールや卒業式など)ではほとんど伴奏していました。

今でこそ10年近くピアノからは遠のいてはいますが、私の学生時代を思い返す時「ピアノ」は大きな存在として残っていて今も色褪せることはありません☺

 

演奏を関心をもって観ているのは親族だけじゃない?

そんな私が姪の発表会を観て覚えた違和感。

それは、

せっかくの「発表」に当事者と親族しか興味を持っていないのが本当に残念だ・・

ということ。

いわゆるピアノの発表会って演奏している子の親族以外、ほとんど舞台上に興味を向けていないと思いませんか?

退屈そうに目をつぶったり、寝落ちしたり、スマホをいじったり、我が子の演奏以外の時間をどうにかやり過ごそうとしている感じ。

 

みんな、自分の子以外の時間って退屈そうよね・・

 

と。

今回発表会に参加して、その違和感を久しぶりに感じたんですよね。

まぁ我が子が出るから親や親族は来るわけで、やはり可愛い我が子以外はどうしても興味は薄れがちになるのはしょうがないことだとは思うのですが・・

かくゆう私達も例外ではなく、姉一家は朝からの準備に疲れてか出番が終わったら全員ウトウトしてしまっていたし、私もコソコソとスマホをチェックしたりしてしまっていました。

 

どうしても、赤の他人の演奏って興味が湧きづらいですよね。。

 

これが発表会だなんて残念だよ!

でもよく考えると、これってすっごくもったいないことだなぁと思いませんか。

この日のためにみんな練習して、暗譜して、おしゃれして、女の子は髪型セットなんかもしてせっかく発表に臨んでいるのに・・

観客だって大切な時間を割いて出席しているのに・・

客席は満員御礼なのに、自分の演奏に注目しているのは実は親族だけだなんて。

なんでこうなっちゃうんだろう、こんなもどかしいことある〜!?

 

発表会の後半からそんなことをずっと考えていました。

 

これまでのスタイルを一度変えてみてはどうだろう?

ピアノの発表会っていうのは、ホールを借りて、舞台上にグランドピアノとスタンドの花なんかがあって、

司会が発表者の名前を呼ぶ

舞台袖から緊張した面持ちの演奏者が中央に歩いてくる

客席に向かって無言でおじぎする

観客からの拍手

演奏開始

演奏終了後客席に向かって無言でおじぎする

観客からの拍手

舞台袖にはける

こんな形式ですよね。

 

私が主催者なら、まずこの形式をやめてみようと思うのです。

 

このスタイルは伝統的でクラシカルだし、上品なものです。いわゆる「ピアノの発表会」らしい形式だと思います。

でもこれって・・

ステレオタイプ(先入観・思い込み)に当てはめてる部分があるんじゃない?って思うんですよね。

まずなんといっても、

奏者と観客に距離「感」がありすぎる

その距離が観客の「会を共に作り上げる当事者意識」を薄れさせていると思うんですよね。

大げさにいったら、youtubeを流し観してるような感じ・・

だから、自分の子供だけにしか興味を持つことができないのかなぁって。

 

私が考える「観客参加型のピアノ発表会」

では既存の発表会の形式をどのように変えるかですが、私だったらまず開催場所を舞台と客席が明確に分かれているコンサートホールタイプではなく、体育館のようなシンプルな空間で行おうと思います。

そしてレイアウトは、演奏者を中心に観客が円形に囲む形に。

平坦で段差のない大きなフロアーで行うことで、演奏者とオーディエンスの境界線を取っ払い、物理的距離を縮めます。演奏者が見ようと思えば一人一人の観客の顔を捉えられるというサイズ感です。

といっても平坦だと客席後方から見えにくいこともあるでしょうから、理想的なのは段差がある客席を作れれば尚よし!

こんな感じ↓

ピアノ発表会

この段差をつけるセッティングが難しければ、並列にパイプ椅子を並べてもOK。

 

そして演奏者も客席で待機。

自分の番が来たら客席からそのままピアノに向かい、終わったら客席に戻るという流れです。

司会は最低限の進行を行うにとどめ、演奏者自身の言葉で語るイントロデュースにできるだけ時間を割きたいと思います。

 

  • 名前
  • 年齢
  • 演奏する曲
  • なぜこの曲を選んだのか
  • この曲に対して自分が持っているイメージ
  • 練習で苦労したところ
  • 特にここに注目して聞いてほしい

 

といったことを観客の前で話してもらいます。

とても緊張する瞬間だと思うけど、この「自分の言葉で語る」というステップがあることは、この会を成功に導く大きなウェイトを占めると思っています。

この1ステップを踏むことで、観客の興味関心をぐっと惹きつけることができるはず。

 

さらに演奏終了後は、演奏者の親以外の観客から無作為に3名ほど指名して、感想を述べてもらいます。

この時、感想を述べる親御さんたちに事前にお願しておくことは

必ずポジティブで前向きな言葉を伝えること

決して否定しない、全て肯定的な言葉で伝えることを事前に周知しておきます。この場ではミスや欠点を指摘するのではなく、褒めて長所を伸ばす空気感を作ることを目的とします。

ミスや短所は後日、先生から指摘してもらい改善していけばいいこと。

この日のこの空間は、「何を失敗したか」を認め改めさせることではなく、「とても良かったよ」「聞いててて心地よかったよ」という風に褒めて、人前で弾くことを何より楽しく感じてもらいたい

演奏者と観客の物理的距離を縮め、双方向でのコミュニケーションがある旨あらかじめ周知しておくことで、「みんなでこのイベントを作り上げるんだ」と全参加者に当事者意識を持たせることが出来ると思います。

そして結果的に一体感を帯びた良い発表会になると思うんですよね。

 

とはいっても、生徒数が多ければどうしてもダレてきてしまう可能性もあるので、前半後半で入れ替え制にしてもいいかも。

とにかく観客も参加型

これによって全ての人が我が子以外にも興味関心を持てるかはわからないけど、少なからず今の一方通行のスタイルよりは面白くなるはず。

聞こう、観よう、注目しよう、良いところを見つけよう。

こういう姿勢って、決して「プロの演奏会」ではない子供の発表会においては、とても大切なことだと思うんですよね。

 

既存の概念や慣習を疑ってみることが大事?

こう書いてみると何も特別なことはなく、誰でも思いつくアイデアなんですけど(笑)

そうそう、私は子供の頃バレエも習っていたんですが(バレエといっても団地の集会所が教室の月額数千円のお手軽なものです)、その発表会の時も客席には退屈そうな人結構いるなぁって、当時から思っていましたね。

繰り返しますが、ここでいう発表会は自発的にお金を払って行く「プロ集団の舞台」ではありません。

だからこそ、「全員が参加して感じる臨場感」を大切にした方が互いに実のある発表会になるんじゃないかな?って思うんですよね。

そりゃ、本音を言えば自分の子供が練習の成果を出せればそれだけでいいかもしれない。また、クラシカルな形式が大切な時もあるでしょう。

だけど、あまりにももったいないよな、と感じたんですよね。

だから、時に勇気をもってこれまでの慣習やスタイル・あり方を「変える」ことも必要なんじゃないかと。

まずは既存の概念や、慣習を疑ってみる

これって結構大事な視点だと思うんですよね。

と、自戒の念も込めつつ、姪っ子のピアノの発表会をみながらそう思いました。

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余談:「ライブ感」こそが人間の醍醐味でないか?

そんなピアノの発表会という「表現の場」にいてふと思ったこと。

少し話は逸れますが、現代はネットで簡単に情報にアクセスできる時代ですよね。

ITによって多くのことが効率化され、さまざまな分野で合理化がハイスピードで進んでいます。AIが生活の中に普通にいるという未来ももう目の前に迫ってきています。

そんな便利な世の中になっていく一方で未来ではAIやロボットによって、代替可能な分野での「人力」は排除されていき、「完璧は当たりまえ・失敗はありえない」という無味乾燥な世の中になっているかもしれません。

知力、体力ではAIやロボットが上を行く世界で、利便性と引き換えに人間のやれること(仕事など)は狭まるんじゃないかと悲観的に考えてしまうこともあります。

しかしそういった世界になったとしても、私はこういった「表現の場」や「人間のライブ感」だけは置きかえることはできないと思うんですよね。

なぜなら人間は機械と違って完全無欠じゃないから。

完全ではない「弱さ」や、画一的ではない「多様性」があるから、変則的で予測困難で非論理的で面白い。それこそが人間を人間たらしめているというか。

生徒の緊張した面持ち、手に汗握る瞬間・・・

これこそが生身の人間しか持ち得ない唯一無二の本質だと思うんですよね。

それぞれが持つ固有の「感情」を「揺さぶる」ことができるのは、人間をおいてほかにいないはず。

だから、ITやロボットが進化を遂げていく未来では、高学歴や仕事を高いレベルで処理する能力よりも、非生産的であっても誰もやらない唯一無二の独創的なことに力を注ぐ方が評価される時代になっていくのかもしれない。

多くのことをバランスよくそこそこできることより、一つのことを徹底的に尖らせ窮めていくことがより求められるんじゃないかと。

昔は無駄で価値のない(と思われている)活動や、埋もれていた創作、偏った嗜好というものが皮肉にもITによって多くの人に周知共有できることで光があたり、これまで点在していた同じ思いが繋がり集結することで、新たな力や創造的な価値を持ち始めるということがもっともっと加速していくんじゃないかな。

もしかすると、これまで以上にアーティストが求められる時代になっていくんじゃないかな、と。

いうなれば、同じ土俵で「競争し勝ち抜く」のではなく、「人とは違う土俵をつくリ出す」ことこそがより価値を持つという評価基準に変わっていくのかもしれません。

自分たちが手探りで始めた今のアクションも、試行錯誤の毎日。

自分たちが追い求める理想を形にすることができるか分からなくなる瞬間もありますし、もしかしたらそもそも求められていないんじゃないかって思うこともあります。

でも、自己の体験を通して身にしみて感じた、

課題を軽減・解決したい

あの時の私が救われると思うことを形にしたい

という思いを信じ進んでいこうと、なんだか壮大になってしまいましたが、姪のピアノの発表会を観ながらそんなことを思った1日でした。

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妻

83年早生まれの35歳。約4年半の妊活・不妊治療を経て第一子を妊娠しました。不妊治療で得た経験や知識、顕微受精からの妊娠〜出産・育児について綴っていきます。
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